艮為山(ごんいざん)

易から見る激動の世 それを見る不動の己

易とは その二

 「易は神様との会話」であると、

前回の記事でお書きしました。

 

残念ながら、

僕「〇〇さんが僕のことをどう思ってるのか教えて!」

神「〇〇さんは高嶺の花だから□□さんの方がいいんじゃない?」

僕「いやいや、もしかしたらワンチャンあるかもじゃん!」

 

…ってな会話が簡単にできるもんじゃございません。

(当たり前)

 

誤解を恐れずに言うと、

神様は現代でいうビッグデータのようなもので、

(もちろんそんな軽々しいものではありませんが)

アクセスさえできれば古今東西あらゆる知恵を得られます。

 

アクセス手段として、

神社があったり教会があったり

参拝があったり祈祷があったり

それこそ古今東西さまざまな手段があるわけです。

 

易を使う者、私個人としては、

「意識を高次元に飛ばす」ということを

易を立てる際に行っています。

 

何次元かは分かりませんが、

神様というのは我々より高次元にいると信じています。

 

さて、一気にスピリチュアルな香りがプンプンしてきましたね。

(もともとか。笑)

 

俯瞰して物事を見る、とよく言いますが、

一次元的、二次元的に見るより、

三次元的に物事を見る方がより多く見えますよね。

 

では四次元、五次元、六次元、、と

高次元になっていったらどうでしょう。

 

高次元の存在については科学的にいろいろ考え方はありますが、

シンプルに考えたら高次元なほど情報量は増えるはずです。

そんな世界に神様はいるんではないでしょうか。

 

そんな世界に住む神様にアクセスを試みて、

会話を投げかけて得られた内容を

卦面として落とし込む。

 

それが易です。

 

卦面など、さらに細かいことはまたの機会に。